2001年1月28日
AM2:00
お布団の中で
た「ほな行ってくるわな」
私「うん、気ィ付けてな」
AM10:00
取引先の社長から電話あり。
「たくみさんが倒れて今近くの病院へ運ばれました!」
AM11:00
「心筋梗塞らしいです」
AM11:00過ぎ
家を出て和歌山の病院へ向かう。
PM1:00頃
病院到着
集中治療室で管だらけのたくみ。
「ごめんな、外で待っててや」
「たくみ頑張って頑張ってな!」
PM3:00頃
主治医
「最善の治療はしました、99%大丈夫でしょう」
PM4:00
一旦病状は落ち着く。
PM4:30
ICU(集中治療室)から4Fの一般病棟へ運ばれる。
PM5:00
「しんどいわぁ」
PM6:00頃
「あの仕事どないなってんやぁ」
PM10:20頃
病状急変
PM10:30~
たくみ、悶え苦しみ、鼻からも口からも噴水のように吐血。
私はその血を顔や手・腕にあびながら必死で看病する。
地獄のような光景。
PM11:00
たくみ死亡。
たくみの残した言葉
「愛してるよぉ」
何十回も私に言う。
たくみの最期の言葉
「先生あきませんわ、もう目ぇ見えへん・・・」
私は狂ったように言った。
「たくみーーーーーー私を一人にせんといてーーーーーーーー!!!!!」
たくみは段々土色になっていった。
主治医にすがり付き
「先生私も殺してーーーーーーーー!!!!!殺してやーーーーーーー!!!!!!」
10年前の今日、たくみは急性心筋梗塞であの世へ逝きました。
取引先の人達と和歌山へ魚釣りに行き、そこで命を落としました。
私が病院へ到着するまでにドクターヘリの中で一度は蘇生しましたが
その11時間後に死亡したのです。
たくみの死後、私は泣きながら、たくみの髪と爪を形見に切りました。
あの地獄から10年。
たくみ、もう10年も経ったんやな。
私頑張ってるで。
たくみの所に逝きたいって何回・何十回も思ったけど
皆に支えられて生きてるよ。
こないして毎年1月28日は同じような事書いてるで。
知ってるよな。
そっちで見てるもんな私の事。
私、ちゃんと生きてるよ。

