実家から帰って来ました。
12月28日帰省。
12月29日、親戚が来て酒盛り。この間にさよちゃんから電話あり。本当に御免なさい、会えなくて。
30~31日、弟家族がやって来てこれまた弟と酒盛り。
元旦、叔母が来てまたまた酒盛り。
2日、大阪に帰って来る。5泊6日酒盛り状態が続き疲れ果てる。
今回も親孝行が出来なかった。・゚・(ノД`)・゚・。
でも母の代わりに年賀状を書いてあげたのは良かったなあ・・・と思う。
その年賀状をを書いている時の事。
母のお友達があまりにも達筆過ぎて分からない字があった。
母に「これなんて書いてるの?」と聞く。
母「ちょっと待ってね、手帳で調べるから」
母は手帳を渡し、「これよ」という。
その後母は何か用事をしていた。
私は何気なくその「手帳」をパラパラと見ていた。
そして見てしまったのだ、そう「見てしまった」というのが正しい表現。
その手帳は日記も兼用していた。
今日は〇〇ちゃんの運動会。よく頑張ったね。お弁当美味しかったです。
今日は〇〇姉ちゃんとJRでどこそこに行きました。久し振りに〇〇姉ちゃんと会えて嬉しかったです。
それ以上は見れなかった・・・というより見てはいけないと思い手帳を閉じた。
帰りの新幹線の中でその文章と、井上陽水の「人生が二度あれば」がリンクし、脳内再生され涙が零れた。
歌:井上陽水 作詞:井上陽水 作曲:井上陽水
父は今年二月で六十五
顔のシワはふえてゆくばかり
仕事に追われ このごろやっと ゆとりができた
父の湯呑み茶碗は欠けている
それにお茶を入れて飲んでいる
湯飲みに写る 自分の顔をじっと見ている
人生が二度あれば この人生が二度あれば
母は今年九月で六十四
子供だけの為に年とった
母の細い手 つけもの石を持ち上げている
そんな母を見てると人生が
誰の為にあるのかわからない
子供を育て 家族の為に年老いた母
人生が二度あれば この人生が二度あれば
父と母がこたつでお茶を飲み
若い頃の事を話し合う
想い出してる
夢見るように 夢見るように
人生が二度あれば この人生が二度あれば
人生が二度あれば この人生が二度あれば
帰宅後、私はまたお酒を飲み、この歌を聞いて泣きに泣いた、号泣した。
でも声を殺して泣いた。思いっ切り口を抑えて泣いた。
私はこの家では泣いてはいけない。
私の泣き顔は許されない。
母の文章は「少女」そのものだった。
それがまた私の胸に突き刺さった。
私の様に中身がオッサンではなく、母は少女なのだ。
私は親不孝な娘。
何故あの時・・・父が転勤になった時私は着いて行かなかったのか。
もしあの時両親に着いて行っていたら私の人生は絶対に変わっていた。
たくみの言葉が決定的だった。
「ゆうちゃんと離れたくない」
18の時だった。私もたくみと離れたくなかった。
ハタチで同棲を始めた。
・・・これ以上はよそう。
直リン、本当はNGですが今回は貼ります。
http://www.dailymotion.com/video/xsw42p_%E4%BA%BA%E7%94%9F%E3%81%8C%E4%BA%8C%E5%BA%A6%E3%81%82%E3%82%8C%E3%81%B0-%E4%BA%95%E4%B8%8A%E9%99%BD%E6%B0%B4_music
お母さん、親不孝な私を許して下さい。
ごめんね。

