お盆中に高校時代の友達から何人も電話が掛かってきた。
たくみの死後、私は完全におかしかった。
というか、たくみの死後数年の事は殆ど覚えていない。
ただナオゴンの優しさだけは覚えている。
彼女がいなかったら私はたくみの所へ逝っていたかも知れない。
友達の「頑張りやあ」とか「ゆ○こやったら大丈夫」とかそういうのがもう許せなかった。
これ以上どう頑張れと、何が大丈夫かと。
なので高校時代の友達とはハッキリと距離を置いていた。
でも今考えれば、それしか言葉が出なかったのだろう。
12年経った今なら理解できる。
私の事は横に置いておこう。
美人薄命・・・ではなく。
「イケメン薄命」
私の元カレが何と、4年前に亡くなっていたのだ!
私は驚愕した!
元カレはたくみより10倍イケメン。
(私は完全な面食いだった、しかし今は違う、男は中身)
知り合ったのは・・・というかその電話をくれた友達(Y君と同じ中学・同級生で仲が良かった)が
「Y君が1学期から、ゆ○この事電車で見て一目惚れしてんて、一回会ってあげてや」
というので私は「ふ~ん、そうなんや」くらいにしか思っていなかった。
Y君の公立校と私の女子校は同じ沿線、下車駅も同じだった。
夏休みに入り、友達の紹介でY君と初めて会った。
夏休みの中頃から付き合い始めた。
高1、15歳の夏、遠い昔。
私はY君をどんどん好きになっていった。
Y君はとっても優しかった。
身長181cmのY君、私151cm。
いつも見上げていたように思う。
夜中にバイクで私の家まで来てクラクションを鳴らしていたY君。
PLの花火を一緒に見に行ったY君。
毎日下校時に「あの駅」で待ち合わせをし一緒に帰宅したY君。
大型二輪に乗せてくれたY君。
電話を一晩中掛けていた私とY君。
初めて「真剣な交際」をしたY君。
母と誕生日が一緒なY君(七夕なので絶対に忘れない、なので毎年この日だけはY君を思い出す)
私の大好きなアイドルに真剣に嫉妬していたY君。
当時高校から帰宅後少林寺拳法を習っていた私だが、それをサボりイチャイチャしていた私とY君。
だってY君が「そんなもんサボってしまえ。俺と少林寺、どっちが大事やねん」っていうんやもん。
私も「うん!そないする、Y君と一緒におる!」と夜遅くまで一緒にいた。
両親には「いや~今度昇級試験があるから忙しいし他の人達が手取り足取り教えてくれるねん。
女子は私一人で大事にして貰ってるから断られへんねん」と嘘を付く。
※ ちなみに大事にしてくださったのは本当の話です、襟を掴むのも気を使わせた(中にTシャツは着用していますが)
調子付いた私は女子校の少林寺クラブに入部するも3日で辞めてしまう、あまりの体格差と厳しさに元ヤンが付いていける筈もなく。
本当に仲が良かった私とY君。
でも2年生の冬辺りから、上手くいかないようになっていった。
その頃、たくみと知り合った。
私はたくみにY君の事を相談していた。
そして何度か別れたり引っ付いたりを繰り返したが駄目だった。
縁がなかったのだろう。
その後、私はたくみと付き合い始めた。
あの世で二人はもう会っているだろう。
私はY君との思い出の曲を聞いている内に号泣した、たくみの写真の前で。
たくみは私の事は全て知っているので許してくれるだろう。
Y君とたくみの相違点。
Y君=好き好き大好き
たくみ=愛している
(この差は大きい)
Y君とたくみの共通点
鉄工所の長男
釣好き
イケメン薄命
私は「鉄」と「長男」に縁があるのだろう。
ま、元ヤンの私に弁護士や医者に縁はないだろう。
癌治療、辛かったよね、しんどかったよね。
今はもう楽になったよね。
たくみと仲良くしてね、2人共顔見知りなんだから。
Y君と私が、おじいちゃん、おばあちゃんになった時会いたかったよ。
あの頃は青春してたよね~楽しかったよね~って。
私は大好きだったY君とも愛するたくみともこの世でもう二度と会う事は出来ません。
しかし2人共生き急ぎ過ぎ、太く短い儚い人生。
Y君のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
イケメン薄命に送ります。
R.I.P.HIROYUKI

